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暑い日が続く東京を脱出してふるさとへ・・ 涼を求めて盆休みこれ以上ビルのヒートアイランドの生活は限界 されど、日本列島全体が酷暑だから始末が悪い 私は16日から9月の始めまで、ラオスに潜伏 8000年前の縄文時代の日本人とラオス人のDNAが一致したニュース以来、 親戚ラオスへの里帰りの思い NGOの仲間が大勢待っているし、 無農薬野菜が豊富なラオスで老体のリフレッシュに励んでくる 20日には、衆院予算委員会の皆さんがラオス視察とか 私たちのクッキーカフェ「みんなのカフェ」に寄ってくださるとか NGOのなんたるかを勉強して頂いて、もっと支援をと訴える積り ところで、2020年のオリパラを機に、サマータイム導入の話 私は反対、 オリパラの暑さは分かったことで、時間をずらしたって意味はない 競技時間をずらせばいい話 いろいろな手続きで、混乱必死だと思う 時を動かす前に、この原因の温暖化防止策や生活改善や やることはいっぱい やめて頂戴!サマータイムやめて頂戴温暖化 「暑すぎて 腹に染み入る セミの声」 板橋の我が家の裏の公園からセミの声がうるさくて・・・ #
by yashiro-eita
| 2018-08-13 16:04
暑い日本列島、西の方は豪雨災害 異常気象がもたらせたものだろうが それにしてもだ 暑いはずのラオスから三日前帰国して 驚きの酷暑 ラオスの方が涼しくさえ思える 地球温暖化は深刻な状況なのだ やがて人類はこの地球から干上がってしまうのだろう 早く全ての国がその気になって解決への意思をと思う トランプみたいな変な自国ファースト主義者が 破滅への道を引っ張っている 独裁者的リーダーが多く、世界は変だ そんな連中に安倍ちゃんが尻尾を振るのはよくない ラオスは暑い筈が涼しい毎日 椰子の実を庭先からもぎ取ってくれてストローでチュー 夏ばてもなく栄養満点だと薦められて一気に飲んだ 椰子の実がココナッツになってわが体内に・・・ 自然豊かなラオスは、貧しいけれど食は豊 暑い日本から脱して、またラオスに帰りたい 「椰子の実が 喉もと過ぎて 八代の実」 #
by yashiro-eita
| 2018-07-24 21:26
ワールドサッカーも日本敗退で少し静かになった 四年後のドバイに期待をかけよう! 明日から再びラオス出張だが、ラオスも暑いそうな ラオス一国への支援活動も19年になり 障害者問題が無視されてきたラオスもようやく目が向き始めた スポーツと就労をテーマに、細く長くの支援活動だったが 単年度の支援は実が伴わない そんな思いで今日までの長きに及んだ 今度、2020年の東京オリパラの各国の選手団を合宿に受け入れる ホストタウンに、名乗りを挙げた福島県飯館村 ラオスのオリパラ陸上選手を受け入れたいと熱心な申し入れに 私も何とかラオス選手を合宿させたいと頑張っている。 その飯館村の中学校に招かれて、ラオス国とインターネットを結んで 交流の対話を実施した ラオスも知らず、またラオスも飯館村は知らない中で チンプンカンプンの対話集会だったが、少しは身に実りがあったようだ 明日からラオス政府に説明して、どう選手団を送るか?受け入れるか? 難しい問題もあるが、飯館村に光が当たるように努力したいものだ 広大の村の路を走ると田畑は、放射能ゴミの集積場と化していた 厳しさの中でアピールしようと村長さん以下、必死 子供たちもまだ、明るさはない 今後この村はどうなってゆくのかと、考える一日だった いずれにしても、私は明日からラオスです! #
by yashiro-eita
| 2018-07-06 15:30
今日は父の日だそうな 母の日と比べてなんと軽視されていることか いっそのこと祭日にするか、母の日と一緒にして 「父母の日」にしたほうが・・・ それでも、長男の子から車椅子での移動のために ポシェットを贈られて感激 わが子からは何の音沙汰もないが孫は可愛いものだ 親父の現役のころは「雷親父の会」なるものを作って 全国的な運動をしたものだ 子育てには父親の責任が大きいとアピールしたものだ 親父の背中を見て子は育つ!親父は一家の大黒柱 父親の尊厳、親父よ頑張れとキャンペーンもした 今は、父親の存在も地に落ちて 母親がイニシアティブを取っての子育てが主流だ 家庭での決定権は、母親が50パーセントなんて記事を見た 子供は宝、母は強し、父は居なくて働けば良し! 日本の家族制度は大きく変わって、大黒柱は無用 給料は振込みで働き蜂の威厳は失墜 老いれば「濡れ落ち葉」などと言われ、哀れなものだ 遠い昔、菅原文太や加藤芳郎漫画家やガッツ石松たちと 子育てに夢中になった頃が・・・・ああ懐かしい 「男とは どうあるべきか 議論もなく」 遠い昔の雷オヤジの会の面々、菅原文太、輪島横綱、植村直己冒険家、ガッツ石松 加藤芳郎などなどの面々で子育てに夢中だった1970年頃の写真、みんな若い! #
by yashiro-eita
| 2018-06-18 09:23
1937年6月2日に山梨の農家に生まれて81年 明日は、1973年6月3日に愛知県でステージから転落 車椅子の第2の人生が始まって45年 なんとも節目が重なる今日と明日 二つの人生を歩み続けて、どちらの人生が?と 問われれば、やはり車椅子人生は意味が在ったし 多くの仲間の生き様を見ながら、生きる価値観と 生きる喜怒哀楽の重さを知った 懸命に生きる多くの姿に接し、学ぶことの多かったこと その間、何人も別れを味わい、涙を流して、一人ひとりの 人生ドラマを見てきた 健康を過信して生きてきた前半の36年は、価値のない36年だった 人生の折返しの丑年の節目に、天から試練の車椅子を授かった あれから45年 政治の中で訴え続けて、日本の障害者福祉を変えてきた自負はある 人の評価はどうであれ、わが人生に悔いはない 八十路の坂は、少しきついが、明日に向かって頑張りたいと思う 「汗流せ まだまだファイト ここに在り」 今はラオスの障害者支援に没頭!ラオス北部の地に日本の桜を植えて頑張っている #
by yashiro-eita
| 2018-06-02 16:48
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