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28年間の議員活動を振り返って、私の歩んだ福祉政策の足跡を、なんとか若い人々に伝えておきたいし、書き留めておきたいと思っていたら、最近いくつかの大学から「わが大学で、社会福祉の講座を受け持って欲しい」と、要請が来ている。 政治活動は引き続きやるとして、永田町への時間がなくなって、ゆとりが出来たので、お受けすることになった。 多分、11月頃から車椅子教授として、学生たちに日本の福祉の現状や、福祉政策の立案プロセスなど、講義をしたいと思っている。 教授なんて、私の人生には当てはまらない職業ではあったが、当たって砕けろ人生が私のモットーだ。ここは、臆することなく元気で頑張り、若い人々を福祉への理解者としてリハビリテーションしたいと考えている。 教材は私の生き様だ。どんとこい!の思いで、取り組んでみよう。 明日から10月だ。明日は地域のイヴェントが目白押しで、朝早くから走り回らなければならない。お蔭様で、選挙の後遺症の床ずれは完治して、いつもの体調に戻った。 街頭演説はしばらくないが、出会いふれあいを、更に深めて次なる目的に前向きに進んでゆきたい。 「天高く 元気印で 街を行く」 ■
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by yashiro-eita
| 2005-09-30 16:49
今日は赤坂のホテルで、日本の障害者団体の幹部の皆さんが主催して、私を激励してくれた。 私の28年の議員生活の原点は障害者問題だった。私も一生懸命取り組んだが、私をサポートしてくれた皆さんでもある。仲間でもある。 障害者問題は、当事者の考え、生活の中で得た知恵をはじめ、やはり中身が違ってくる。車椅子であった私に、議員として手本を示し、仲間として遠慮なく提言して来た彼らは、私の気持ちが一番判ってくれる。 今、障害者福祉はどういう立場に置かれているか?厳しい財源の中で、これからどうなってゆくのか?みんな心配している。 私の存在は、時として守りの福祉を叫び、新たな施策を当事者として発信する、彼らのメッセンジャーでもあった。 その私が、永田町から遠ざかることは、彼らにとって大きな問題でもあろう。 今夜集まった、100人の一人ひとりが、私のシンクタンクでもあった。自民党が障害者問題を責任持たせるためにも私の存在は大きかったはずだ。 早く復党して、また彼らのために働きたいと思う。 この特別国会で、障害者自立支援法が再提出され、審議される。もっと中身を精査しないといけない。一部の修正はやったが、もっと修正は必要だ。障害者に過度の負担は避けなければならない。 今夜の激励会でも、そんな意見が飛び出した。私も議員バッヂが無いことも忘れて「そうだね!そうしよう!」なんて勝手に答えてしまっていた。 明日、自民党の福祉担当幹部に、早速陳情してみよう! 「激励を 受けつつ陳情 てんこもり」 ■
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by yashiro-eita
| 2005-09-28 21:20
昨日25日は、地元の秋祭りに参加して、午後からは、蔵前の国技館に出かけた。何年ぶりだろう。友人のご招待で、秋場所の千秋楽を観戦した。私のお気に入りは「安馬」だ。6月カミサンたちが「安馬」の故国モンゴルに行って、安馬のご家族友人たちとひと時を共にして、安馬のご両親の家庭教育、安馬を育てた苦労話など聞いてきて、すっかりファンになったようだし、私も彼の、真っ直ぐ、正攻法で取り組む土俵態度に感銘したし「安馬公平」と言う日本名の公平が、友人の名をとった話も聞いて、すっかりひいき筋になってしまった。 国技館で、安馬が呼び出されれると思わず「安馬~!」と叫んでしまった。 この千秋楽は、見事勝って9勝6敗!朝青龍が優勝したが、楽しい大相撲であった。 (写真は国技館で) 今日は、障害者自立支援法の今国会での提出、審議の行く先が気になって、永田町まで出かけて行った。議員の皆さんには会わなかったが、厚生労働省の担当者に情報を伺った。 今週中には閣議決定し、この国会で成立を目指しているようだ。 私が担当していただけに、成り行きは気になってしまう。 障害者団体も賛否は分かれているようだが、早く成立して来年の予算を確保して欲しいと、多くの団体が望んでいるようだ。民主党は、全ての法案に対案を出す構えだが、会期末は11月1日だ。のんびりしてたら、また廃案になってしまう。 ここは、みんなで頑張って欲しい。 「気になって バッヂなくとも 永田町」 ![]() ■
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by yashiro-eita
| 2005-09-26 22:55
心身ともに選挙疲れから癒えて、本格的な活動に入らなければならない。 国会議員として28年の垢を全て落とすことは出来ないが、垢も身の肥やしと思いながら、蓄積された経験を、いろいろな人に、いろいろな所で語ってゆきたい。 突然の出馬は、結果として敗北になったが、その行為は概ね評価を頂いて、地元の皆さんのご配慮にただただ感謝の気持ちでいっぱいだ。王子の事務所も、そのまま維持しながら、地域の皆さんの人生相談・生活相談をやってゆきたいし、地域の会合には積極的に参加して、大いにふれあいは重ねたいと思っている。しばらくは、総選挙は無いかもしれないが、一日一日の積み重ねは大切だし、この選挙の結果が北区・足立区の永遠の選挙結果に推移するとは思わない。 自民党は圧勝したが、次への課題も多いし、特に福祉の分野は私を必要としているに違いない。 いつ、復党できるか判らないが、やはり巨大自民党になればなるほど、その責任は大きくなるし、今後の国民の政策要望も、福祉は第一位にランクされている。 年金問題、社会保障の問題、障害者問題、高齢者の問題、少子化問題と、課題は山積している。早く郵政問題は、国会で片付けてもらって、私も大手を振って、自民党に出入りできるようにしてもらいたい。 明日25日は、10時から、サンジャポにまた出演だが、テレビの仕事は経験豊富。講演活動も経験豊富。まあ、なんとか事務所を維持し、食いつなぐことの見通しは出来た。 武士は食わねど高楊枝・・・の思い。胸を張って元気で活動してゆこうではないか。 「落ち着いて 前に向かって 車椅子」 ■
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by yashiro-eita
| 2005-09-24 19:20
朝晩涼しくなって、季節は秋を迎える。昨日21日は、特別国会が召集されて、首班指名選挙が行われた。いろとりどりの新人が、テレビカメラに向かって抱負をのべている。 私の参議院、28年前の初登院の自分を思い返した。国会正門から議事堂の正面へ・・・あの日のことは忘れない。 今回はそこに私は居なかったが、テレビを通して首班指名選挙を見守った。340票の圧倒的小泉総理への投票で、新たな政治の始まりである。 新人もベテランも、国家国民のために頑張って欲しい。 夜は、選挙で手伝ってくれた地域の皆さんとお疲れ会だった。戦いは敗れたが、みんな満足感があって、それなりの感慨を抱いてくれたことがせめてもの救いだった。大好きなこの町。これからも地域のために頑張ることを誓い合って、振り返らず前に向かって行こうと労をねぎらった。 今日22日は、神奈川の私の「友の会」の皆さんとご苦労会だった。 物心両面でご支援いただいた皆さんと、これまた再起を誓って楽しく過ごした。 「44279票は、八代の心の一票一票!まさに八代心党だった・・・」こんな激励も頂いて、心が熱くなった。出会いふれあいを積み重ねて28年の政治活動だった。この地域だけでなく、全国に絆を保ち続けている同士が居てくれる。その心が私の財産であり、活力でもある。 「心党」「しん党」の暖かさを次のステップに活かし、膨らませ、頑張らなければならない。 帰途、厚木新道を車で走れば、こほろぎの鳴く声が聞こえる。「頑張れ頑張れ・・」とも聞こえるようだし「負けるな負けるな・・」と聞こえるようにも感じた。 「こほろぎの 励ます声と 風受けて」 ■
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by yashiro-eita
| 2005-09-22 23:26
明日から国会が始まる。圧勝した自民党の独壇場の国会運営となるだろう。議会・民主主義は全てが数の原理だ。前原民主党の前途は多難だと思う。だからと言って自民党が驕って言い訳ではなく、圧倒的多数だからこそ、国会運営は難しくもなる。 明日からの議会に、私が居ないのは淋しいが、これも民主主義の審判の結果だからやむを得ない。 必ずリベンジして、再び国政の中で、福祉をライフワークとして活動できる日を迎えたいと思う。 次の選挙がいつになるかは判らないが、選挙も経済もはじける時はひとたまりも無い。 自民党がこれから、どう国民の支持率を持続できるか・・・しっかり舵取りをしないと返り血を浴びることになるだろう。 19日は、文京の日本医大で、癒しの環境と題しての集いがあり、「笑いと癒しについて」のプログラムがあって「人生は笑いが健康の秘訣!」と題してミニ講演をさせてもらった。 折りしも、敬老の日だったので、ホームに入所されている高齢者にもっと笑いを出前して上げたい・・と話した。5人に一人が65歳以上の日本。その皆さんに笑いが消えるようでは、真の福祉社会と言えない。人生笑う門には福来る・・の環境が大切と、講演した。 夜は地元の皆さんと、選挙のご苦労会・・・こころからご協力に感謝して、これからも町会の一員としてお手伝いしたいとお願いも申し上げた。 「ふれあいを 宝に笑顔 届けつつ」 ■
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by yashiro-eita
| 2005-09-20 20:49
選挙が終わって、初秋の町はいつもの穏やかさが戻っている。 今夜17日は、北区栄町の夜祭があって、町の皆さんと楽しくひとときを過ごした。焼きソバ、焼き鳥など食べながら、カラオケのリクエストも気楽に応じて、見上げれば満月。「チャンチキおけさ」を歌って気勢も上げた。 「大変でしたね・・」「これからもこの町で頑張ってね・・・」暖かい町の声を聞きながら、手拍子で明るく歌い上げた。そう!元気で明るく・・・それが一番だ。 18日は、朝からテレビ番組に生出演。サンデージャポンと言う、若者向けのバラエティーだ。 テリー伊藤や三宅久之評論家、田島陽子なるおばさん。デープスペクターや平沢勝栄議員などと一緒に、総選挙を振り返ってのトーク番組。ここは、昔とった・・なんとやらで、面白おかしく参加した。 午後からは、滝野川八幡神社の秋の祭礼だった。13町会の神輿が繰り出されて、炎天下の暑い神輿パレードであった。 当選した太田さんも出てきて、選挙戦でのエールを交換して頑張ってくれと激励もした。 選挙は結果尊重だ。この地の新しい代表には頑張ってもらわないと・・・・ 昔は、創価学会の方々は、神輿や神社にアレルギーがあると聞いていたが、こうして参加するところを拝見すると、ずいぶん考えは変わったものと・・・ま、いいことだ。 「天高く 神輿若衆の 声ひびき」 ■
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by yashiro-eita
| 2005-09-18 21:20
長い間、スタッフとして、私を支えてくれた仲間と今日はご苦労会をやった。 みんな疲れたと思う。考えてみれば、都議選があって、郵政国会があって、みんな夏休みを待望していただろうと思う。 突然の解散となって、夏休みどころではなくなった。 選挙の準備、みんな必死だった。そして、自民党からの諸々の要請があって、出馬辞退。引き続き福祉議員として、自民党で頑張りたいと思っていたが、筋書きはもろくもご破算となって、急遽の出馬。そのときのスタッフの、選挙を明日に控えての、徹夜での頑張りは、筆舌に尽くし難い苦労だったと思う。 それでも、私の意地を通す戦いに、不満も言わず付いてきてくれたスタッフ。 12日間の不眠不休の選挙は、これまた厳しさそのもの。それでも笑顔で訴え、走り回って訴え私に元気を与えてくれたスタッフ。 選挙は負けたが、彼らの心、勇気、努力、協力の1コマ1コマは、終生忘れない。 スタッフも、散りじりにならざるを得ないが、いつまでも仲間として付き合って行きたい。 今夜は、みんな明るかった。晴れ晴れと悔いのない、短期決戦の満足感を語ってくれた。 私への励ましのつもりか?こうなっても尚、強い絆が見えて胸中は感謝の涙・涙・涙だ。 民主党は、再生を目指して党首選挙。小泉総理は国連で堂々の演説。勝てば官軍と言うが、政治は厳しいものと、しみじみ痛感しながら、硬い握手でスタッフと別れた。 ありがとう。ありがとう。 「支えられ 苦労を分かちつ 道分かつ」 ■
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by yashiro-eita
| 2005-09-16 22:43
朝から晩まで、事務所にこもって御礼電話をさせてもらった。 主だった人へのご挨拶だから、44279票の全ての人には届かない。 国会は間もなく始まるようだ。永田町には、しばらく行けないと思うと淋しさがこみ上げる。 衆参あわせて28年。長い政治家としての人生だった。ライフワークの福祉を原点に、いろいろな法律を作り、提言し、形を作った。 ノーマライゼーションとかバリアフリーとか、福祉言葉も流行らせた。障害があろうとなかろうと、共に生きる社会を目指して、実践的に政策を遂行した。 40歳に参議院全国区で初当選し、今は68歳。よくぞここまで来たもんだ・・・と言う思いだ。 ちょっと不思議な現象が私には付いて回る。初めての選挙が無所属。2回3回とめでたく当選。 参議院は4回目に、落選だった。 衆議院に転出して、新しい小選挙区制度となって、一回目が当選。2回3回と当選して、今回が奇しくも4回目だった。 参議院と同じように、4回目は何故か、勝利に結びつかない天命かもしれない。 神様が、そんな意地悪な筋書きを、私に作っておられるのかも知れない。 とすると・・・次はきっと良い結果が天から授かるかも・・・ そんな風に、心を慰めて、明日もまた元気で頑張りたいものだ。 「逆らえぬ さだめに人の 道があり」 ■
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by yashiro-eita
| 2005-09-15 21:40
今日は秋葉原の、三愛病院に行って、主治医の先生の治療を受けた。 激しく厳しい選挙の後遺症で、車椅子人間につき物の、「じょくそう」になってしまった。 脊髄が損傷すると、腰部の肉が無くなり、尾てい骨と皮膚がくっついてしまっていて、どうしても長い過酷な行動は負担が掛かってしまう。 選挙中は、朝7時から夜12時まで、殆ど車椅子から離れられない。それが12日間も続くと、鉄人八代?も体に異変が起きても仕方ない。 「しばらく過度な行動は、謹んで・・・」と主治医の言葉。 私の主治医は、私が車椅子になった33年前からの外科医だ。厚生年金病院の外科部長から、退職して今の診療所を担当している。 この先生にかかった患者は、全てがドクターの後を追っかけながら、診察をお願いしている。 私もその一人で、ずうっと、私の健康を守ってくれている。 医者のこともいろいろ言われるが、この先生ほど、優しく患者のことを親身になってくれる先生は居ない。 車椅子になって33年。この先生あっての「八代英太」である。 「知りつくし 尻まで診察 おまかせ医」 ■
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by yashiro-eita
| 2005-09-14 20:04
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